- 2004年9月 9日 14:32
- Think
たとえば「番長」がいるとする。
「番長」のイメージというのはどこからやってくるんだろう。脳内で僕らは「番長」について考える。
■ボロボロの学帽、学ラン(ブレザー不可)
■葉っぱなどをくわえている(植物名は不明)
■ゲタ(ハナオは黒)
■サンドバック型カバン、もしくは柔道着
■頬に傷(頬骨のあたりから口元に5~7cm程度が望ましい)
■松の木の下で女の人を足蹴にする(カンイチオミヤより抜粋)
こういったイメージだ。では僕らはこういったイメージを経験によって記録していてそこからイメージを引っ張ってくる。
では、「パサラパンツ」についてイメージをしなさいと言われるとなかなか難しい。
■なんだか履くとサッパリしそうだ。
■軽く清潔感がある。
■料理をおいしくしそうだ(なんとなくタイ料理)。
■青空をバックにはためいていそうだ(洗剤のCM参照)。
■自転車や市場やフルーツが多そうだ(東南アジア等の田舎町をイメージ)
■厨房からなにかおいしそうな匂いが漂う店内で、バスケットに入って140円くらいしそうだ。
といった感じだろうか(ググっても出てこないよ)。
こういった知らないものに対しては、あくまでも僕らは経験の中から推測する。
では「自分」をイメージしなさいって言われたらどうだろう。鏡に映っている範囲でしか僕は自分の姿を見たことがない。イメージっていうのは経験から推測した範囲でしか知りえないのだ。
自分が一番長く付き合っているんだから一番知っているのかもしれない。と同時に僕は自分自身を間接的にしか見たことがない。
江戸川乱歩の「二癈人」といった短編では、夢遊病といった自分自身の知りえない部分が行った殺人を描くのだが、最終的にはそれは自分自身でも確認がとれない部分で行われる事象のため、実に興味深い終わり方をする。
自分自身のことなんて自分で知っていることなんてほんのチョッピリだ。知らないことの方がきっと多い。
実はハゲてたらどうしよう。
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