- 2005年7月 4日 19:04
- Think
少々前に読んだ本に、こういったことが書いていた。
「工場で洗面器が、日々ベルトコンベアの上でガチャコンと生産され、大量生産されたそれらはどこで消費されていくのだろうか?」といった言葉があった。
たしかに洗面器というのは日々の生活でいくつも消費されるわけではない。なのに、今日も工場で、それは生産されているのだろうと思う。例えば、うちの洗面器の場合、一度も他の洗面器へ交換されたことはない。めったに壊れるわけでもないし、賞味期限があるわけでもないのに、今日も生産される洗面器はどこに行ってどのような人生(?)を送るのだろうかと考えると気になってしまう。
おかげさまで、昨日ニセコの温泉に入ってきたのだが、ひなびた温泉のケロヨンの洗面器に自分の存在を重ねてぼんやりと対峙した。「おお、せんめんき、おまえはどこから来てどこへ行くんだろう?」と問うてもケロヨンは無口だった。
もうひとつ、そのどこから来てどこに行くのかわからないものの一つに、ビルの上にあるクレーンがある。ビルを建築時にてっぺんにあるクレーンはどこから発生してどこに消えていくのかがいまだにわからない。僕の仮説では、建築を開始した際に、人目に付かない夜中などに、工事現場のおじさんたちがクレーンの部品をひとつひとつを手に持って、屋上までダッシュして運び、朝方までに組み立てる光景が浮かぶ。星月夜をバックに、クレーンを組み立てる男たち。ふたたび、ビルが建築終了後に、人目に付かないように朝方までにクレーンを解体する男たち。
人々が街でうわさする前に、存在を作り、存在を消していくクレーンや洗面器に僕はずいぶんとクールなものを感じる。我々はどこから来てどこに行くのだろう。
- Newer: 吸収
- Older: モンゴルイベント会場での演奏